春のうららの隅田川 のぼりくだりの船人が
櫂のしずくも花と散り 眺めを何にたとうべき
滝廉太郎の作品に歌われている隅田川の辺り、東京は下町向島で生まれ育って五十数年
幼少の頃より、実兄小林菊次郎氏(日本郷土民謡協会梅若会会長)に詩吟、剣道の手ほどきを受け、昭和二十五年十月日本詩吟連盟(日本吟剣詩舞振興会会長笹川良一)の墨水流の門に入り、故近藤峰月、英峰両師に本格的指導を受けた。昭和三十二年十月吟詠
剣舞、誌舞を研究、三道を以て秀鳳流を結成独立した。その後、全日本剣舞道連盟に所属、剣舞を中心に門下の育成に力を入れ、昭和三十七年五月日本剣詩舞道コンクールに於いて準優勝をはじめ上位入賞十一名を出して剣舞界に新風を吹き込み、その指導力を高く評価され一躍秀鳳流の名を広める。
その後、創作吟舞劇に力を入れ、昭和三十八年松竹芸能まつり(於浅草国際劇場)にて「嗚呼大西郷」を上演、東洋一を誇る大劇場で真剣で殺陣、花火を散らす迫力に大観衆を魅了、吟界初めての商業劇場公演を成功させテレビ界からも注目、古典芸術の近代化を電波を通じお茶の間の話題作りに数々の創作物に取組む。また、芸道十五周年リサイタル(東京赤坂都市センターホール)に於いて、和楽器とオーケストラを見事にアレンジさせた現代吟詠の発表をこころみ成功させ、コロムビアレコード専属になったのが故古賀政男先生との出逢いと成り、歌謡界に転身した。
そして、昭和四十二年頃から作詞、作曲活動を再開、新人歌手の育成に力を入れ、音楽プロデューサーとして、レコード制作、テレビドラマの制作プロモーションにも情熱をかたむける。中でも昭和五十七年テレビ朝日土曜ワイド劇場、江戸川乱歩原作の明智小五郎シリーズ(故天地茂主演)「湖底の美女」は小林秀鳳氏の現地ロケーションプロデュースによるもので、シリーズ最高の視聴率を上げ、自らも出演し話題を呼んだ。昭和六十年九月芸道三十五周年の歩みと題してリサイタル(於静岡県藤枝市民会館ホール)を開催、舞台を離れて二十年ぶりNHK大河ドラマ「武田信玄」に先がけて創作吟舞劇「戦国武田絵巻」を上演、昭和から平成に移り変わった平成元年一月には大衆芸能の殿堂新宿コマ劇場に於いて芸道四十周年記念特別公演「小林秀鳳のすべて」を催し、日本映画界の巨匠井上梅次脚本・演出による「暁啓也の涙と笑いの世双六」を発表、演歌の名ナレーター故芥川隆行、浪曲界の花形故玉川勝太郎、北島三郎と共に演歌を語る故及川洋等の豪華ゲストに囲まれ、小林秀鳳氏がプロデュースする「輝け日本カラオケ歌謡大賞十周年全国大会」を共催しカラオケ史に大きな足跡を残した。
小林秀鳳氏の音楽に対する熱い思いはとどまる事を知らず、平成六年七月にはアメリカロサンゼルス日米劇場にて開催された二世周祭フェスティバル米国紅白歌合戦に特別出演した。日系人に日本古来の伝統芸能の魅力と日本人のこころの歌、演歌の真髄を舞台で再現させ大きな評価を得た。以来アメリカと日本文化の橋渡し役を努める。
そして、平成六年五月、九月には芸道四十五周年記念「小林秀鳳夢ひとつ」と題し静岡県藤枝市民会館(さつき公演)焼津文化センター大ホール(もみじ公演)創作吟舞絵巻「人生花模様四季の舞い」を発表し好評を博した。
そして、小林秀鳳氏はペンネーム暁啓也、作詞・作曲家としてもすばらしい作品を多数手がけ、また歌手育成にも情熱を燃やし高い評価を得ている。
これまでに発表された作品と本人自ら歌唱した「演歌夢灯り」を添えて芸に生き、芸に泣き、芸に笑った人生模様をつづりタイトル「小林秀鳳夢綴り」全集を発売。
これから先も、小林秀鳳氏は夢灯りを灯し続けるであろう。
演歌夢待人より